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見たいもの以外を見る

人は見たいものだけを見てしまうという習性があります。

自分では冷静に物事を見て判断をしているつもりでも、案外自分にとって都合のよい情報しか頭には入っていないものです。

確かに見たいと思えるものだけを見ていれば、気持が乱れたり不安に感じたりするようなことはありません。

ですが、見たくないものを見ないようにしていると、案外知らなかった場所に隠れていた幸せのチャンスを逃してしまうようなこともよくあります。

人である以上完全に客観的になることはできませんが、自分にとって最良の判断をしていくためには、できるだけ今目の前にあるものを冷静に見ていけるように訓練をしていくことが大切です。

 

目の前にした出来事から結果を認識するための方法を「ヒューリスティック」ということがあります。

心理学的な意味におけるヒューリスティックとは、

①利用可能性ヒューリスティック、想起ヒューリスティック

②代表的ヒューリスティック

③係留と調整

が代表的な例となっています。

この言葉だけ見ると外国語を直訳したようで意味がわかりづらいのですが、簡単にいえばそれまで経験したことを判断にどのように活かすかという方法の分類です。

①の利用可能性ヒューリスティックとは、自分が経験してきたことをもとに状況を判断するという方法です。

②の代表的ヒューリスティックとは、一般的だと思われるようなことを過大に評価するという方法です。

最後の③係留と調整は、最初に与えられた情報を判断材料としてしまう方法のことです。

概念的に細かいことをいうとかなり専門的は話になってしまいますが、まとめてしまえば人は自分が知っていることやそれまでなんとなく見たことがあることをもとにして簡単な方法で判断をしてしまうことが多いということです。

例えば過去に犬に吠えられたことがあった場合、次に全く違う場面で違う犬の会っても「吠えられる」というふうに判断をしてしまいがちです。

本来であればその犬が自分に対して吠えるかどうかは近づいてみないとわからいのですが、過去に吠えられたという経験や吠えられた人の話しを聞いたばかりに、吠えるはずという先入観をもとに行動してしまうということです。

同じような先入観による決めつけは、生活の中のさまざまな場面で起こります。

 

ヒューリスティックは素早く判断をするときには役に立つこともあるのですが、あまりにもそれに縛られてしまうと冷静な判断で物事をみることができなくなってしまうこともあります。