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曖昧を受け入れる

自分探しに疲れた人に一つアドバイスをしたいのが、自分を探したからといって必ず見つかるわけではないということです。

もともと自分探しをしたいと考えている人というのは、今現在の自分に何らかの不満や不安があったり、何かきっかけがあったりで、どこか別の場所に行くことができれば、今の自分ではない何か素晴らしいことが待っているのではないかというふうに考えているのではないかと思います。
そこで探しているものとは一体何なのでしょうか?

一度それを冷静に振り返ってみたら、自分が探しているのは本当は何なのか、またそれはどうやったら手に入れることができるのかということがわかるかもしれません。

探しているものをざっと挙げてみるとすれば、

・やりがいのある、全てをかけてもよいと思えるほどぴったりの仕事
・自分を受け入れてくれる仲間、また自分も相手を受け入れたいと思える気持ち
・今まで気が付かなかっただけで、実は隠されていた才能

といったところになるでしょうか。
自分探しをしているときにはなぜか周囲の人のことがうらやましく感じられるもので、自分よりも楽しそうに仕事をしているように見えたり、他人同士が笑い合っているのを見るとまるで世界の自分以外の人はみな自分にないものを持っているかのようにも感じてしまいます。

ですが実際にはそうしたことはなく、ほとんどの人は何らかの問題や悩みを抱えつつも日常生活を必死になって行っているというのが本当のところで、上記のような条件をすべて持ちあわせて仕事をしているような人はごくわずかです。

「もっとお金があれば…」「もっと時間があれば…」「出会いのチャンスがあれば…」といった「もしも」に期待をかけている場合も同じです。

もしもを待っていても向こうから来てくれるということはまずもってほとんどなく、仮にあったとしてもそのときには別の「もしも」を考えてしまうというのがオチです。

自分探しをするということを無意味とは思いません。
人には誰しも無限の可能性があるからです。
ですが、日常生活という平凡な毎日の中では突然に才能が開花し、飛躍的に状況が変わるという可能性はぐっとひくいものになります。

もし自分探しに疲れたら、今度は探すのではなくて目の前にある曖昧さを受け入れるというふうに頭を切り替えてみるのもよい方法となります。
物事を良い・悪いだけで決めつけずに、良い面と悪い面の両方があるものだというふうに思うだけでかなり生きるのは楽になりますよ。